しくじり先輩 第1話
概要
これかの進路に迷っているあなたへ
29歳ながら、なかなかしくじっている人生なので
少しでも勇気を与えれればと、書かせて頂きます。
記憶力に若干問題があり、記憶が曖昧なところがあるので、お許しください。
私の記憶量
幼少期から中学生の記憶 ほぼなし
高校生 微量
大学生 微量
中退から就職まで キツイ
就職してから今 うーん
というぐらい。重要な出来事などはかろうじて覚えているので、安心してください
思い返せばよく29歳までよく生きてた
中学時代は本当に病んでました。
こんな記事をネットに載せれる様になるなんて、自分でも成長したなと自分に感心。笑
概要にも書いていますが、中学時代の病み期ぐらいから、
過去の記憶、人の名前、人の顔の記憶がとにかく乏しい!!
日本史、世界史はほんまにやばかったですね。
誰やねんこの偉人は( ´Д`)y━・~~???みたいな。笑
中学生時代、ずっと病んでいた訳ではありません。
一時期、中学時代に多くの人がする悪さにハマっていた時期がありました。(笑)
その後に何をきっかけかわからないのですが、ひたすら本を読んでいました。
当時の偏差値が36ぐらいだったと思います。
おばかさんなりに真面目に悩んでいた事が
「生と死」について、、、暗すぎる!笑
母親に「おれのこと生まなければ良かったやん」と発言した記憶もあります。
病みすぎ!!笑
自分の子供ができてから、母には心から感謝しています。
病んで良かったのが本と出会えた事。
これは大人になって気づきましたが大きな糧になっています。
母もよく本を読む人でその影響も大きかったです。
受験勉強は中学3年ぐらいからやり始めた気がします。
その当時の公立で一番偏差値の低いところですら入学できませんよと言われたので、勉強を始めました。
始めたのも本?のおかげだったと思います(ー ー;)
類は友をよぶ
本に書いていた言葉です。
当時の中学は校区内でも偏差値が悪いところでした。
でも当時の中学校って選べないんですよね(私立を除いて)
周りと同じ事をしていてもずっとこのままはだるいなと思い、
同じ中学の人たちが一番進学しない高校に行きたいからという理由で、
とりあえず偏差値58ぐらい目指してました。
いい線まではいけた覚えがあります。お金が勿体無いので塾も行きませんでした
自分の周りを見てください。
特に仲のいい人などは自分に似ている部分がありませんか?
自分に近い者(似ている)はストレスを感じずらい(居心地がいい)ので自ずと集まる様になっています。
それが私からすると逆にストレスでした。
まだこのレベルの中で何年も生きていくのか?
苦痛でしかありませんでした。
だから、類の中を変える為に自分が変われば一番早いと思い行動に移しました。
理由はともあれ、当時からずっと自分に問い詰める事がすきでした。
何故?何故?と心も未発達ですし、知識もないんで病んでいったんでしょうね。笑
余談ですが勉強のコツです。
無闇に勉強してもあまり意味はないと思います。
まずは自分にあった勉強方法を探す事。勉強のコツを探す事です。
たまに勉強時間を自慢してくる人がいると思いますが、
「自分無能です!」
って言っているのと同じです。
これは大人になっても変わりません。
何かを覚えよう、学ぼうと思った時にいろんな方法を試して自分に一番合う方法を探してください。
科学的には運動をしながら勉強するのが効率がいいと言われているみたいです。
二宮金治郎の像は理にかなっているという事ですね。笑
これで中学時代の記憶は以上です。一生懸命に思い出しました!!!限界です!!!まぁ当時は厨二病でも人生なんとかなります。
最後に、中学の時から変わらない自分への問いかけがあります
「自分は何を望んでいるのか?」
一覧に戻る