始まりと終わり

めがね

めがね
仕事 成長

始まりと終わり

始まりと終わり
タイトルだけ見ると

かっこいいなぁ

と思うのは私だけ??

はい、本編!!
表裏一体
表裏一体とは

二つのものの関係が、表と裏の様に密接で切り離せないこと。

終わりがあるから始まり

始まったものには終わりがある。

心のどこかで理解はしていても行動に移せないことがありはしないだろうか

何か新しいことが始まった時に思い描く理想の姿

いずれその初心(理想の姿)は忘れ

終わりが近づくにつれて、ふと思いだす。

そして、こう思う

あの時にあぁしとけば、、

なんでこれをしとかなかったんだ。

自分に嘘をつく人もいるかもしれない。

終わってから、理想の姿を当初のものと違うものにすり替える人もいるかもしれない。

嬉しいことがあるから悲しいこともある

悲しいことがあるから嬉しいこともある

好きなことがあるから嫌いなこともある

嫌いなこともあるから好きなこともある。
ここからは少し重いかも
生と死にたいする一個人の考え方というのは忘れずに読んでいただきたい。

なんで、こんな記事を書くかというと、

この時期、死を意識する人が増えるからである。

「何故か?」までは調べたことはないが、

何か始まることに対する障害、何か始まっていたことが終わることに対する障害を

乗り越えることをやめてしまうことが原因かなと思っている。

以前の記事にも書いたかもしれないが、私もその一人である。

深く深く、小さな何も詰まっていないスカスカの脳味噌で「死」について、問い続けたことがある。

問えば問うほどに「生」が遠のいていった覚えがある。

生きる気力、勇気、楽しさ、嬉しさ、喜びなどが感じられなくなってしまった様な感じである。

学校に通っているのに、家に帰れば家族もいるのに、

1日言葉を発さないこともあった。

考え抜いた結果の一つが

「自分という人間が生まれなければ、始まらなければよかったんだ・・・。」

この時ぐらいから少しだけ賢くなりました。

表裏一体に気づいたからである。

「死」について散々問い続け、落ちるとこまで落ちて(自分の中では)

「生」について問い続ける様に変わっていった。

本との出会いもあり、まずは環境に変化をつける様にした。

今ある負の環境は一旦他責にして、これからの未来の環境は自責であることをしっかりと胸に刻み

それからは、自己研鑽という名の勉強をした。体力をつけるために通学中は筋トレをしていた。

生と死
私自身、自ら「生」を断ち切る人に対して、

命を軽んじていると微塵とも思わない。

ただ言えることは

生きることも意外と楽しい。

環境に変化を与えれば、みえてくる世界は変わり

また違ったものに気づくはず。



他人を変えることはできない。

他人を変えることよりも、自分を変えることは容易い


新しい環境になった時、楽しい未来を思い描き、その未来のビジョンに向かって

日々、学び行動し続けること。

簡単そうで難しい

ビジョンを追い続けることできっと、終わった時に笑えるんじゃないかと思う。

人に笑われるぐらいがちょうどいい

生と死

一覧に戻る

OTHER ARTICLES他の記事を見る

OTHER CATEGORY他のカテゴリの記事を見る